中国南陽市の主な観光地(漢画館、武候祠、医聖祠)
漢画館
漢代画像石は、中国の漢の時代(前漢晩期~後漢末)に、王族や貴族の墓室の装飾に使われた石のレリーフです。漢代画像石の絵にはそれぞれある意味があり、鑑賞に用いられる芸術品でもあります。
画像石が表現している内容は様々ありますが、大きく2種類に分けられます。一つは現実の社会生活を描いたもので、車騎出行(馬車や馬でのドライブ)、馳逐田狩(狩猟)、歌舞宴楽(パーティの様子)など当時の生活風習が表現されています。二つめは精神世界を表すもので、伝説や神話物語、吉兆降邪(お払い)、羽化登仙などをテーマにしたものです。
中国南陽市では、市内にある漢代画像石を保存・展示するために、1958年に武候祠に隣接して、この漢画館を建設しました。漢代画像石の収蔵量は1,200点余りで、その内180点余りを常設展示しています。
車騎出行 | 車騎出行 |
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南陽武候祠
南陽武候祠は、別名「諸葛庵」と言われ、中国河南省南陽市の西部臥竜崗上に位置しています。ここは、三国時代の有名な政治家であり軍事家であった諸葛亮孔明が隠棲し晴耕雨読の日々を過ごしていた故地として代々祭祀されてきました。諸葛亮孔明(AD181年~234年)は、漢の末に山東地方に生まれ、南陽臥竜崗に居住しました。漢末期の建安12年(207年)、諸葛亮が27歳の時、劉備、関羽、張飛が庵を三度訪れました。この三顧の礼を受けた諸葛亮は天下3分の計を劉備にすすめ、劉備の政治集団に参加することとなり、名軍師として名を馳せました。後に劉備とともに蜀漢を建国し、その丞相となり、死後に「忠武候」の名を受けました。このため代々諸葛祠を称して「武候祠」と呼ぶようになったのです。南陽武候祠は魏、普の時代に創建され、幾度かの修復や拡張を経て現在に伝わっています。現在の武候祠は元~明の時代の配置で、多くの建物は明・清の時代の建築と言われています。
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諸葛草庵茅葺きの屋根を持つ八角形の庵で、諸葛亮孔明の庵として有名です。回廊の巡りが良く整い、古い素朴な良さと静謐とした美しさのある建築です。 |
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野雲庵草庵の右側に位置する建物で、壁面は煉瓦に彫刻をほどこした色鮮やかな装飾に覆われています。 |
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関羽座像 |
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関羽・張飛像 |
その他の見所
諸葛井 |
諸葛井は臥竜池の南岸に位置する古い井戸です。井戸水は清らかで、かつて諸葛亮が臥竜崗で生活していた時に使っていたという伝承があり、諸葛井と呼ばれています。 |
半月台 |
半月台は、諸葛亮孔明が夜に天文を観測した所と言われています。煉瓦造りで梯子があり上に登ることができます。 |
老竜洞 |
老竜洞は半月台の下にあります。ここは諸葛亮が「千古人竜」であることの寓意を表しています。洞内は幽玄で静謐としており、内部の壁面は石の浮き彫りで装飾されています。 |
躬耕亭 |
躬耕亭は、諸葛亮がこの地方で耕作して生活していたことを表す建物です。柱は原木をそのまま用いた粗制なつくりの建物です。建物の前面の壁には一枚の石刻の碑があり、諸葛亮孔明の立像が刻まれています。 |
小虹橋 |
小虹橋は草庵を出たところにある精緻な石橋です。空に虹がかかるような姿に見えることから小虹橋の名がつきました。 |
医聖祠
医聖祠は、東洋医学の大家張仲景(150年~219年)を奉るために建立された祠です。1982年に祠を改修したおり、330年に作られた石碑が出土し、それには「漢長沙太守医聖張仲景墓」と刻まれておりました。これにより1600年も前からこの地方で張仲景が奉られていたことが証明されたのです。祠は大門や雙碑亭・仲景墓・大殿・山門などから成っており、祠のなかには張仲景医史文献館が設置され、張仲景が書いた「傷寒雑病論」等が収蔵されています。